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ヒロシマへ、思いを寄せて [日常]

朝食を終え、室内では娘と夫が遊んでいる。
8:15、ベランダで洗濯物を干す手を止め、西側へ体を向けて黙祷。

私は大学生のあいだに3度、広島へ行ったことがあります。
原爆投下については教科書や図書コーナーにあった漫画「はだしのゲン」で、知っていました。
でも"知識”としてしか知らなかったから『原爆投下は昔のこと、他所と変わらぬ観光地のひとつ』として訪れていました。

だから観光の延長で「原爆ドームも見ておかなきゃ、広島へ来たって言わないよね」と軽~い気持ちで訪れて、現代の美しい街並みとのギャップに 鳩尾へ重い衝撃を加えられたような、足元がぐにゃりと揺らぎ嫌な汗が止まらなくなった感覚は、今でも忘れられません。
※後に母から「私が高校生のころ修学旅行で行った時は、もっと目を背けずには居られない展示物が多かったよ」と聞きました。


でも、それよりも何よりも衝撃だったのは。
同じ大学に通うMちゃんが「私、結婚も出産も出来ないと思う。ヒロシマ出身だから。」と言ったこと。
Mちゃんの出身は広島県ではあるけど、広島市ではない。「しない」んじゃなくて「出来ない」ってどういうこと?と、意味が判らなくて きょとんとしていたら「あのね、本人たちは気にしていなかったり、いま健康被害がある身内が一人も居なくても、原爆被害者の血を継いでいるんじゃないか?遺伝子に問題があるんじゃないか?って周りが騒いで、縁談が壊れることがあるのよ」と。

この話を聞いたのは、原爆投下から50年目のころ。(1995年)
井伏鱒二さんの小説『黒い雨』が出版された時で20年目、それから倍以上の年数が経っているのに?本人は至って健康なのに、そんなことが起こりうるの??と、広島平和記念館で見たことよりも、ずっと近しい事として・・・その地で暮らす人々を現在進行形で苦しめる史実に愕然としました。

その後、彼女は素敵な男性と出会い子供も授かることが出来ましたので、きっと↑の話をしたら「そんなこと話したっけ~?」と笑い飛ばしてくれると思いますが、ヒロシマで起きたことは人として忘れてはならない、と「教科書から得た知識」が「自分にも関わりがあること」に変わった瞬間でした。

私自身も子を持って、事件や事故が無い平凡な暮らしが如何に尊く、有難いことであるかを実感する今日この頃。
女子から女性、彼女から妻、そして母へと立場が変わったいま、またヒロシマを訪れたいな・・・と思っているのでした。

タグ:ヒロシマ
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